私は結城家35代・松平家17代当主で結城松平博喩堂報恩舎の会長を務めております松平直泰と申します。
 結城松平博喩堂報恩舎は当家の先祖である東照神君家康公薨去四百年の年に前橋市長山龍様の意向により前橋市文化国際課歴史文化遺産活用室のご指導の基、かつての前橋藩主松平大和守家の功績を称えるとともにその歴史的価値をこれからのまちづくりに活用してゆくべく、松平大和守家所縁の人たちにより設立された組織です。
「結城松平博喩堂報恩舎」の結城は源頼朝を烏帽子親とする朝光を始祖とし茨城県結城市を領地としていた家系で17代晴朝が徳川家康の二男秀康を養子に迎え入れ秀康は結城姓を名乗りましたが、関ヶ原の戦いの功績で福井市に転封、これを機に秀康は松平姓を名乗りますが(実は父親と同じ徳川を名乗りたかったが許されず、父親の旧姓の松平を名乗る)五男の松平直基に結城家の祭祀を引き継ぐ事となります。博喩堂は松平大和守家の藩校の名称です。
 なお当舎の活動にご賛同賜れる方はどなたでもご入舎いただけますので事務局までお申し出頂ければ幸いです。
 徳川四天王であり榊原式部大輔康政が所持していた故式部正宗と称えられる名刀は、徳川家康公へ献上されたものを先代の松平大和守基知が奥州白河藩主の時に将軍家より譲り受け以来当家の家宝として受け継がれてまいりましたが、昭和二十年の東京大空襲により御手杵の槍と共に焼失してしまいました。然しながら御手杵の槍は家康公薨去四百年を機に、レプリカの復元を試みた処、刀剣愛好家の方々より「名刀式部正宗も復刻を」との声が多数寄せられました。
 この様な刀剣復古の風潮の下、家康公薨去四百年 前橋の東照宮の祭禮に合わせ、結城松平関係者により「結城松平博喩堂報恩舎」を発足させ式部正宗を復元させるべく前橋在住の刀工 高橋恒巌氏と師匠の上林恒平氏が玉鋼より日本刀鍛錬を始めます。
 つきましては復元の原資として広く皆様のご浄財を仰ぎたくここに謹んでお願い申し上げる次第です。
なお浄財は一口 三千円より承っております。ことを申し添えお願いのご挨拶と致します。
お電話でのお問い合わせ TEL 027-231-2031
結城松平博喩堂報恩舎 事務局 前橋市大手町3-13-19 前橋東照宮社務所内